心と体

2017年7月 2日 (日)

あれから10年

7月2日は、忘れもしない、「あの日」から10年を迎えます。

あの日、何があったかと言うと・・・。くも膜下出血で緊急入院したのです。突然後頭部に激痛が走り、直後激しいおう吐。そのまま救急車で運び込まれ、気が付いたときは集中治療室の中。運び込まれてから2日後のことでした。

一般病棟に移れたのは10日~2週間ほど後のことだったでしょうか。順調に回復・・・と思われたところに、今度は水頭症を発症。水頭症は、脳に水がたまり、記憶障害や失禁などの症状を引き起こすために、日常生活に大きな支障をもたらします。そのため、その水を胃に流す「シャント」という機械を埋め込まれました。胃カメラをやると、脳にたまった水を胃に流すための管を見ることができます。

40日ほどで退院し自宅で静養していたところ、物がうまくつかめずに落とすことが続きました。検査入院ということで病院へ行くと、一回目の手術の際クリッピングという処置をしていた動脈瘤がふくらんできて神経を刺激しているとのこと。すぐさま琉球大学の先生を呼んでの再手術の計画が組まれました。再破裂をしないよう、手術までトイレでふんばったりしないよう、注意を受けました。

070823_63

退院直後の生々しい傷が残る頭。

070823_64

お腹にも、シャントを埋め込んだ手術の際にできた傷が。

Sn3s1779

今も、頭の右側には、開頭手術をしたときの傷が残り、

Sn3s1777

左側にはシャントのふくらみがはっきりと確認できます。

発症した人の4人に2人が亡くなり、4人に1人は後遺症が残り、後遺症もなく生き残れるのは4人に1人だと先生から聞きました。「運がよかったんだよ」。先生がそう言いました。実際、入院中にくも膜下出血で亡くなった方の死亡広告を何度か見かけました。

今も血圧管理で定期的な通院が欠かせませんが、何よりも、後遺症もなく何不自由ない日常生活が送れていることに感謝です。そして、病院の先生や看護士さん、リハビリスタッフのみなさん、家族、三ヶ月にも及ぶ病休期間中のみならず勤務再開後も勤務負担軽減にも協力してくれた職場の皆さんにも本当に感謝します。(今、ふっと思い出したのですが、病気を発症する直前、友人のS君(このあとに出てきます)と一緒に行った玉泉洞内の「身代わり地蔵」なるところに手を合わせて祈願したのです。お礼には行っていませんが、こちらにも感謝・・・。)

余談ですが、最初の入院中に東京からお見舞いに来てくれたS君。モノレール古島駅から浦添総合病院まで歩いてきたそうです。どうして徒歩で?

その答えが「直線だから近いと思った」って、あんたね~。じゃあ、那覇から名護まで歩いてごらん、直線だし。

Photo

これが、噂のS君(右側)。この頃、まだ歩行器を使わなければ歩けませんでした。わざわざ、東京から飛行機賃をかけて来てくれたS君。友情にも感謝です。

| | コメント (0)

2017年7月 1日 (土)

人間ドック

6月30日は人間ドックでした。ここ数年体重も落ちてきて、薬草茶を愛飲していることもあってか、数値は、GPTもγ-GTPも尿酸も中性脂肪も大幅に改善されてA判定なのですが、血糖値だけがかなり危険な状態に。カレー弁当のご飯はLからSに、パンは薄切りなら4枚、厚切りなら2枚だったものが今は半分に。それなりに努力しているつもりですが、なかなか数値に表れてくれません。

肩を落として家路につく途中で、同じ仕事をしているU君から「友達がやっているので」と紹介された食堂、「青空」に行ってみました。

Sn3s1775

注文したのは「チキン南蛮カレー」(800円)。ここのシステムは、お漬け物やご飯、スープなどはすべて自分で盛りつけします(お代わりも自由)。カレーも、カレー用の皿に、自分が食べられるだけのご飯を盛り、それにご主人がカレーをかけてくれます。自分では小盛りにしたつもりですが、揚げたての大きなチキン南蛮とカレーが載ると多いような気もしないではありませんし、血糖値気にしているのにこんなに大きな揚げ物を食べていいのか、と先生からのお叱りも聞こえてきそう。

場所は、国道58号から学園通りに入り、港川中学校を過ぎた少し先左側です。

| | コメント (0)

2016年8月20日 (土)

入院

6月某日、入院をしました。背中にできたこぶ(肉腫)を摘出するためです。

小さいうちならよかったのに、大きくなりすぎたので全身麻酔で手術する、と言われました。医師は、「こんなの早く取ったらいいのに」と軽く言うのですが、麻酔は例え万に一つであっても事故が起こりうること。なかなか決断ができずにいましたが、医師を信頼して手術をすることにしました。

Sn3s1096

手術前夜の食事です。「最後の晩餐」にならないよう祈って食べました(笑)。

Sn3s1098

病衣に着替えました。前にも書いたことがありますが、イラクのフセイン元大統領にちょっと似てはいないかと自分で思う今日この頃。

Sn3s1093

翌朝。朝食後、手術着に着替えます。

手術はおよそ一時間半。手術台に横になり、麻酔のマスクを口に当てられて意識が遠のいていく瞬間や、名前を呼ばれて目が覚めた瞬間を鮮明に記憶しています。

手術翌日には病院を追い出され、2泊3日の入院生活は無事に終わったのでした。

| | コメント (0)

2008年12月14日 (日)

クリスマスキャロルの夜

 お寿司(回るやつですが)でお腹を満たしたあと、私たちは北谷町の教会に行きました。そこで、パイプオルガンと聖歌隊によるクリスマスキャロルのコンサートがあるのです。

ウィーンでミサに参加したことはありますが、クリスマスコンサートというのは私にとって初めての経験です。北谷という場所柄か、外国人が多く参加していて、聖歌隊のメンバーにも外国人が。司祭も外国人でした。
Epsn0158
黒人の女性とかを見ると、それだけでぜったいすごいはず!って思ってしまいます。これで司祭がジェームスブラウンだったりしたら・・・。光を見たか!イェーッ!ってこれはブルースブラザースですね。

何年か前、クリスマスの予定を聞かれ、何も予定がなくて悔しかった私は、「クリスマスは教会に行くに決まっているだろう!」などと言いつつ実際には行かなかったのですが、クリスマス当日に部屋の鍵をマンションの立体駐車場の隙間に落としてしまったことがありました。隙間なんてほんの数センチ。落とした鍵がその隙間を通って落ちていくなんて、普通に考えればあり得ないほどの確率です。結局、同じマンションの住人に助けてもらい事なきを得たのですが、あれは絶対罰が当たったのだ、と今も思っています。
Epsn0159
話がそれましたが、県内でパイプオルガンの演奏が聴けるのはここだけなんだそうです。
Epsn0161
1時間ほどのコンサートが終わり、きれいな心になって教会を出るとき、手作りらしいクッキーが出口に置かれていました。コンサートもクッキーも無料、勧誘を受けることもなく、純粋に信者のみなさんが奉仕の心で催してくれたのだと思いました。ちなみに、指揮者の方はMr.オクレに似た顔をされていて、それも癒しになりました(失礼!!)。(でも、とぅじさんも同じことを思ったのですから、やっぱり似ていたのだと思います。)

帰宅して、出迎えてくれたトラッキーとショパンに「きれいな心になってきたよ~」と報告し、持ち帰ったクッキーを写真に収めようとしました。すると。
Epsn0162
なぜかショパンが興味津々。
Epsn0163
ちょっとだけ写っているショパンの手がかわいいです。
Epsn0164
ショパンが諦めたと思ったら、今度はトラッキーが。ショパンの手が相変わらずキュートです。
Epsn0165
どかしても諦めようとしません。影が写り込んでしまいました。
Epsn0166
何か、いけないものでも入っているのではないかと思えるくらい、執拗に迫ってきた我が家のお子様たちですが、とうとうトラッキーはぺろっと舐めてしまいました。
舐めてみてやっと自分が食べるものではないと気付いたらしく、さっさとその場を立ち去ったトラッキーでした。

| | コメント (2)

2008年7月 2日 (水)

あれから1周年~死の淵からの生還

 今日7月2日は、私がくも膜下出血をやってからちょうど1年です。1年前のこの日、夕飯を済ませて「鶴瓶の家族に乾杯」を見ながらバランスボールによりかかってくつろいでいた私の後頭部を、突然激痛が襲いました。痛みにのたうち回っていると今度は吐き気が。トイレで吐いていると、妻がこれは絶対おかしい、と判断し、救急車を呼びました。そして、我が家の近所である浦添総合病院に運び込まれたのです。

運び込まれたばかりのことは覚えているのですが、次に気付いたときは、すでに手術を終え、運びこまれて2日もたったあとでした。集中治療室で長いこと過ごし、約2週間後に一般病棟に移ったのですが、治療中に「水頭症」を発症してしまいました。頭に水がたまり、記憶障害や失禁(つまり、おもらし)を発症する病気で、確かにその頃は記憶があいまいだったり、トイレは、便意をもよおしてからでは間に合わないことも多々ありましたので、おむつ生活でした。記憶のことは、認知症と同じような症状で、1日の中で覚えていること、いないことが混在しています。40日近い入院生活を終え退院したのですが、それから少しして今度は左手に麻痺が起きました。ご飯をこぼし、それを拾おうとしたのですが、うまくつかめません。何日か同じようなことが続き、念のため医者に連絡したところ、すぐ検査入院ということになりました。そして、検査の結果は、最初の手術のときに処置ができなかった動脈瘤が大きくなってきて神経を刺激している、とのことで、すぐにまた手術をすることになりました。沖縄県ではトップクラスと言われる先生が琉球大学から来て、手術をやってくれました。

よく、人から「大変だったでしょう」と言われるのですが、本人はそれほど大変なことだったとは認識していないのです。こんなことを言うと、家族に叱られますが。

入院中の主な出来事と言うと。

①自民党大敗。安倍総理やめるのやめないのの大騒ぎ。

②朝青龍事件。処分が下り、モンゴルに帰るの帰らないのの大騒ぎ。

③時津風部屋力士死亡事件。親方に責任があるのないのの大騒ぎ。

④阿久悠死去。

そして、小島よしおを知ったのもこの頃でした。大騒ぎ事件が立て続けに起きて、ワイドショーなどは話題には困らなかったはずですが、ほとんどTV見放題状態に私にとっては、どのチャンネルも同じ話題なのでいささか退屈でした。

Epsn0046

この写真は、まさに倒れる2時間くらい前に撮った写真です。

Epsn0179

そして、これが1周年の今日の写真です。あの日と同じような、きれいな天気です。

Epsn0180

そして、真ん中奥に見えるのが、命の恩人、浦添総合病院です。

Epsn0063

頭の傷は、こんな感じでした。手術直後は、病院内で面会に来た方からも、その傷はどうしたの?と聞かれるほどのひどい傷でした。

くも膜下出血は、高血圧が主な原因で、高血圧は、肥満やストレスによって引き起こされるそうです。確かに数年、血圧の下が高い状態は続いていたのですが、倒れる数ヶ月前からはストレスを抱えていました。一度、後頭部に強い痛みが走ったことがあり、整形外科に行ったことがあったのですが、今思えばこれが前触れだったような気がします。退院してからは、毎日血圧を測り、記録し、グラフ化しています。妻も、食事には気を配り、塩分やカロリーなどを考えながら料理をしてくれています。東京からわざわざ駆けつけてくれた高校時代からの親友S君、直接会いには来てくれなくても物心両面からいろいろと気を遣ってくれた職場の仲間達。その他、妻の友人達、両親にまで心配をかけてかけてしまいました。

でも、医師をはじめ病院のスタッフにもめぐまれ、妻の献身的な看病も受け、ずっと減らなかった体重も入院中に10キロも減り、健康への意識が格段に高まったのですから、感謝、感謝、感謝です。

今思えば、幸せな人生です。1年前に死ななかった、ということだけじゃなく。

| | コメント (2)