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2016年4月17日 (日)

京都・桜と湧水をめぐる旅雑感

今回の3日間の旅は感じるもの・考えることが非常に多くてとても有意義でした。

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初日に寄った小川コーヒーのスタッフの方々と、沖縄の桜について少しお話をしました。沖縄の桜はソメイヨシノに比べて色もどぎついピンク色で、散り方も風情がない。もし、森山直太朗さんが沖縄の人だったら、あの名曲「さくら」が生まれただろうか。沖縄の桜は2月頃。なので、「泣くな友よ 今惜別の時」という歌詞も生まれなかったでしょう。そもそも沖縄の桜にあんなセンチメンタルなメロディは似合わない。沖縄に戻って、そんなことを考えました。余談ですが、小川コーヒーのスタッフの方が「フレッシュです」とコーヒーミルクを差し出したときは心の中でクスッと笑ってしまいました。だって、コーヒーミルクのことをフレッシュと呼ぶのは関西人の証らしいですから。

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そして、満開の桜はこれ以上ないほどの美しさ。でも、その美しさも長くは続かない。というよりも、見頃なんてあっという間に終わってしまいます。まさに「さくら さくら 今咲き誇る 刹那に散りゆく定めと知って」という歌詞そのもの。四季を愛でる。その日本人の感性にぴたっとはまる光景がこれなのだと思います。

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そして、その美しい桜の中にとけ込む溝口肇さんのチェロの音色。世界の車窓からというわずか2分あまりの番組の冒頭、12秒ほどしか流れないテーマ曲。もちろんこの曲を知ってはいましたが、誰の曲か、などということを考えたこともありませんでした。その曲を演奏されている溝口さんのコンサートがあることを知ったのは開演のわずか1時間とちょっと前。夕暮れ時の第一部に間に合ったことも、前日は雨だったのにこの日は天気にも恵まれたことも、本当にラッキーで、何かに導かれた気がしてなりません。

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そもそも、このコンサートは、チェロを勉強していたとぅじさんの強い希望で行ったものだったのに、私が溝口さんにはまりました。「Sakura days」を存じ上げなかったこと、ただただ溝口さんにお詫びを申し上げたいです。また、溝口さんの音楽のジャンルが「ニューエイジ」となっていて、「『千の風になって』がクラシックなのに、これはどうしてクラシックと呼ばないのか?」という疑問が生じ、そもそも「ニューエイジ」ってどんなジャンルなのか、テクノの一種か、と思い調べてみると、ニューエイジとは環境音楽などのことを呼ぶらしく、Enyaや喜多郎といった人たちがこのジャンルに入るとのこと。納得しました。溝口さんのCDを金曜日の仕事帰りに聴いたら、その心地よさに言葉がありませんでした。

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今回私たちがお世話になった日昇別荘のおもてなし。お茶菓子がテーブルに用意してあるのは普通の旅館でもよくあることですが、部屋に入るとほどなくしてお茶を運んで来てくださいます。なぜか、英語で話しかけられたのはちょっと感じが悪いですが(冗談です)。そして、枕元に置かれた折り紙と女将のメッセージ。和風旅館ならではのおもてなしだと思いました。

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そして、これもとぅじさんの希望で訪れた六道さん。小野篁なんて人を存じ上げなかったのですが、この人にも少し興味が湧きました。黄泉返りの井戸を見られなかったのは残念ですが、冥土通いの井戸は見られました。また、東京に住んでいた頃、近くにあった「六道の辻」の所以も調べてみたくなりました。

「京都なんて自然がなくて、やっぱり奈良よね」なんてことを言う人がいるそうです。確かに祇園あたりの人混みには閉口しますが、鞍馬周辺には広大な自然が残っていますし、街中にある湧水もしっかり残されています。それは、ときに頑固と言われる京都人の気質が、古いもの、大切なものをしっかりとぶれることなく守っていてくれるからだと思います。

そして、京都と並んで観光地として名高い沖縄に欠けているものは、京都並みのおもてなしの精神だと思いました。

「それはちょっと違うよ」と思われる部分もあるかとは思いますが、私なりに感じたことを書かせてもらいました。本当に素敵な旅をありがとうございました。


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