HONEYMOON 2005~FRANCE
最近、ネタがなくなってきており、あまり更新をさぼると、「また入院か?」と思われてしまうので、突然ではありますが、6年前の新婚旅行の話題でも綴ることにしました。当時、まだブログをやっておらず、記憶も少し薄れつつあるので、こうして記憶を辿りながら頭の体操も兼ねてやってみます。
2005年9月12日、私たちは全日空機でPARISへと旅だったのです。
シャルルドゴール空港からバスでエトワール広場に着き、早速ビデオを撮ろうかと思ったところ、なんと!ビデオカメラが故障!
新婚旅行最初の夕食です。アルバムに貼ってある写真をカメラで撮っているので、写りがイマイチです。
時差の関係でほぼ徹夜したような感じであるのに、とぅじさんは旅の朝はハイテンション。
ホテルの窓から明け方のパリの街並みを撮ったり、ゴミ収集車の写真を撮ったり。
パリでは、早速とぅさんがブキニストに寄り、本の購入。
さすがは絵本のマニア。
まずは、オルセー美術館へ行きます。
オルセー美術館では、こんなおかしな表記が。日本語の伸ばす「ー」は縦書きになったときはこれも縦線になるなんて、向こうの人はわからないようです。
決してきれいとは言えないセーヌ川沿いに座って、昼食です。
セーヌの橋の上で絵を描いて売っていた人たちから作品のお買いあげ。「いくらですか?」とフランス語で聴いたものの、フランス語で返されてわからなかったかわいそうな私たちです。
その後はオペラ座へ。ファントムが出てきそうな雰囲気。
夜は、パリビジョンの「エッフェル塔でのディナー&ムーランルージュのショウ」に参加しました。レストランでは、アメリカ人女性の2人組、スペイン人のカップルの間に座りましたが、スペイン人の方は2人でワイン1本、私たちとアメリカ人の方は4人でワイン1本だったため、アメリカ人女性がクレームをつけてちょっとした口論がおきてしまいました。このスペイン人カップルは、1人がスペイン語の他に英語を解し、もう1人はフランス語を解すというこれ以上ない語学力をお持ちで、私などは感心することしきり。
塔の下に降りてからは、グループの人たちとはぐれ、集合場所がどこに何時なのかはっきり把握していなかった私たちは、諦めてホテルに戻ろうとしていた矢先、グループの人を発見し事なきを得たのですが、ムーランルージュ前で長いこと並ばされるわ、店の前に列ができて迷惑な別の店のお兄さんが「ここに並ぶな」と文句を言ってきたり、もうなにがなんだか、の状態。頭もボーっとしている状態でショウを見てバスで帰ってきたのですが、もう1時~2時くらいになっていたと思います。
さて翌日はこれまたパリビジョンのバスでベルサイユ宮殿へ。当然いろんな国の人たちが参加している中、なぜか日本人ガイドが乗っていて、英語が不自由な私にとってみればちょっと得した気分です。
パリ市内に戻ったあとはシテ島に行きます。
猫好きな私は早速猫を発見して戯れます。
その後、とぅじさんは1人でルーブル美術館へ。1時間という制約を設けて、その間私は歩き疲れた足を癒します。
早くもパリを経つときがやってきて、早々と大荷物になってしまった私たちは、東駅(GARE DE L`EST)で荷物を預けて少し駅周辺を散策するつもりで早めに駅へ。そしてロッカーを探すのですがどこにもない。清掃をしていた方に聞いてみると、北駅(PARIS NORD)にしかないとのこと。北駅はすぐ隣と言ってもいいくらいの数百mの距離ではありますが、大きな荷物を持ち運ぶのは面倒です。
あきらめて、カフェで時間をつぶすことにしました。カフェと言っても気の利いたお店ではなく、「単なる駅の売店」です。
このとき、後ろを兵士3人が行ったり来たり。何を警戒していたのかはわかりません。
乗車時間になり、チケットを確認してもらいます。ストロボに反応したこの駅員さん、「撮るんだったらちゃんと言ってくれよ~。髪も整えるのに~」といった雰囲気。
1等寝台ですが、狭いこと、狭いこと。
私の好きなパリの風景。独身時代にもこの辺りから写真を撮って、「次は好きな人とこの風景を見たいな~」と思っていたのですが、実現して何よりです。
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